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フェアプレー

ハロルド・コノリー、オルガ・フィコトワ
「鉄のカーテン」を乗り越えた選手村で生まれた愛

1956年に開催されたメルボルン大会で、ハンマー投げの金メダリストであるハロルド・コノリー選手と、女子円盤投げの金メダリスト、オルガ・フィコトワ選手が出会い、恋に落ちました。

オリンピック選手同士のロマンスはそれほど珍しいものではありません。その中でこの二人がとりわけ有名なのは、東西冷戦まっただ中の当時にあって、コノリーはアメリカの、フィコトワは共産主義体制下のチェコスロバキアの代表選手だったから。行き来のままならぬ二国間関係がある以上、事実上の許されざる恋でした。

しかし二人は諦めず、後日、チェコスロバキア大統領を訪れ、結婚の許可を得ることに成功し、翌年にはプラハで結婚式を挙げました。二人は1973年に離婚しますが、それまでに4人の子供を設け、アメリカ代表として、夫婦で3回のオリンピックに出場したのです。

二人の出会いの場となった「選手村」は、大会期間中、各国の選手やコーチらの滞在施設として会場付近に建設されます。敷地内には宿泊所のほか、レストランやコンビニ、トレーニングマシン、床屋なども設置され、一つの町のような設備が整っています。

選手村は、第8回のパリ大会(1924)に際して、現地事情のわからない選手が移動や宿泊に苦労しないように、という善意のもと、スタジアムのそばに建てられた50戸(1戸4人収容)の木造のバラックがはじまり。正式に「選手村」として施設が設けられたのは、第10回のロサンゼルス大会(1932)が最初でした。ただ、宿泊するのは男子のみで、女子にはホテルが提供されました。戦後の1947年、オリンピック憲章で選手村の規定が設けられ、1948年のロンドン大会から男女の村が登場しました。

ここでは、国交のない国同士、異なる競技の選手同士が交流する機会に恵まれます。「オリンピック選手同士のロマンスは珍しくない」というのは、オリンピックという得難い体験を共有し、選手村という国や人種による分け隔てのない空間で生活を共にするからでしょう。選手村はまさに「友情、連帯、フェアプレーの精神をもって理解し合う」というオリンピック精神に適った施設。コノリーとフィコトワのようなロマンスに限らず、多くの選手たちがいろいろな形で貴重な出会いやかけがえのない経験を得られるのです。

東京オリンピックでの選手村の様子
東京オリンピックでの選手村の様子
写真提供:フォート・キシモト

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