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ロンドン大会
各国の友情により実現した終戦後初のオリンピック

1945年5月、ドイツの降伏によって1939年からはじまった第二次世界大戦が終結し、ようやくヨーロッパに平和が戻りました。 そしてその年の8月、ロンドンでIOC理事会が開催されました。集まった理事たちには、オリンピックが対戦のため2度の中断(※)を余儀なくされてしまっていたことから、次回(1948年)こそは実現を、という強い思いがありました。

そのとき開催に名乗りを挙げていた6都市の中からIOC委員の郵便票で選ばれたのがロンドンです。イギリス国内には空襲の傷跡がそこかしこに残り、ロンドンも廃墟同然だったにもかかわらず、イギリスの関係者は「世界中が戦争に疲弊している今だからこそ、近代スポーツ発祥の地としてイギリスが先頭に立つべき」と、開催のために奔走しました。

しかし、財政の困窮はいかんともしがたく、通常新設するメインスタジアムは、既存のサッカースタジアムを一部改修して使うことにし、その他の競技場はすべて既設のものを使用。選手村も、男子は空軍と陸軍の兵舎を、女子は大学校舎を利用することになりました。

この状況に、各国が協力の手を差し伸べました。スウェーデンは競技会場用木材を、アルゼンチンは馬術競技用の馬を、アイスランドはドラゴン級ヨットを提供。カナダやオーストラリアからは選手村の食料の援助がありました。

この時期に開催を引き受けてくれたイギリスに対し、各国が精一杯の礼を尽くして実現した、まさに「友情のオリンピック」でした。

※第二次世界大戦前までは、夏季大会の開催地に、冬季大会の開催権が優先的に与えられていました。

中止された夏季大会: 1940年の第12回東京大会が日中戦争の影響で返上。その後ヘルシンキでの代替開催を決めたが、これも、ソ連によるフィンランド侵攻が始まり、中止となった。
1944年に開催される予定であった第13回ロンドン大会は、第二次世界大戦により中止。1948年に繰り越された。

中止された冬季大会: 1940年の第5回札幌大会が日中戦争の影響で返上。当時、スキーのアマチュア問題をめぐり、IOCとスキーが盛んなヨーロッパの国々は対立していた。(札幌大会では、スキーはデモンストレーションで行ってもオリンピックでは行わない予定であった) しかし札幌の代替地として決定していたサンモリッツが、IOCの了解のないままスキーをオリンピックに加えようとしたため、開催地をガルミッシュ・パルテンキルヘンに変更し、その際、1944年の第5回大会の開催地をコルチナ・ダンペッツォに決めたが、第二次世界大戦のため両大会とも中止となった。

ロンドンオリンピックの開会式。後ろに「オリンピックは参加することに意義がある」のクーベルタンの文字。
ロンドンオリンピックの開会式。
後ろに「オリンピックは参加することに意義がある」の
クーベルタンの文字。
写真提供:Hulton Getty/AFLO

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